Wall Art Festival with noco
2016/2/27-28-29 滞在制作2/17-3/1
インド西部・マハラシュトラ州・ガンジャッド・
ワルリ族の村・カルキーパダ公立学校で壁画を制作。

diary

出発の日。17日の朝。実花(娘)は珍しく寂しそう。
いつも必ず旅やエキシビションには着いてくるのだか、
今回は2年生になりあまり学校を休みたくないと言い始めた。
でも当日が近づくにつれ少しづつスキンシップやお喋りが増えてきて、
無理にでも誘っておけば良かったかなと。
朝はいつもより静かで。ギュッと1度しただけで早めに家を出た。
いつもの場所に残る人と、出発し移動する人の気持ちの違い、2週間という時間の流れの違い。
ウルルン旅行記はもう始まっている。w。
私は描くのだろう。私は遊ぶのだろう。私は乾杯をするのだろう。
絵が喜ぶ描きを、酒が喜ぶ乾杯を。丁寧に。いってきます。
(Narita International Airport - Tokyo Japan成田国際空港 東京成田国際機場)
18日朝。昨日は朝の出発から10時間のフライトでデリーへ。
デリーから国内線乗り継ぎで2時間フライトでムンバイ。ムンバイから車で3時間。
日本時間の朝3:00頃に目的地のガンジャッド・ワルリ族の村に到着。
ひと言では言い表せない時間。夜の暴走と外を流れる街と人。
身体は長旅でそのスピードさえも優しく感じ始める。
今日から始まる。見た事がない景色。
そこに映るのは神様なのか、悪魔なのか。
太陽なのか、月なのか。
生なのか、死なのか。
なんでもない。光だ。
18日は1日ゆっくりと動く日。
午前中はnoco project が建てたnoco cafeで美味しいチャイを頂き、その裏に広がる果樹園を散歩。
ヘビが出てきてヒヤヒヤしたり。木から落ちた果物や実を食べたり。そして壁画を描く小学校へ。
数日前から描き始めている大小島さんの部屋やワルリ画を描くラジェーシュさんの部屋を見せて頂き。
自分が描く部屋に立つ。窓が2つあるこの部屋は、昔に来たことがある懐かしさと、言葉では言い表せない感覚。
「知ってるよ。私がここで描くんだろう。あなたも知ってる筈だ。」
部屋の中で1人立ち、そんな会話を見えない誰かとしている。
18日昼。
少し離れた街の警察署に滞在者書類の提出へ。
ガンジャッド村に比べたら凄い人と車。でも都市部と違いちょうど良い距離と混み具合。
1人でブラブラしていても、客引きに会うことはなく、買い物をしても騙す人もいない。
小型乗合タクシーのおじさん達は働く気があるのか、楽しそうに時間を過ごしているようにみえる。
何なんだろうか?この豊かさは。
見た目ではみんながみんな豊かには見えないのだが、芯にはゆったりとした豊かさを感じる。
そしてサリーを着た女性達の美しさ。色が溢れているのに、自然にある花達の様に全てしっかりと調和している。
最近東京でも色々な意味で感じている素直さと可愛さがこの地方の村には残っているからなんだろう。
おじいさんもおばあさんも男も女も子供達も牛も犬も猫もニワトリも存在している。
そして私もいま。ここにいる。
19日朝。4:30。
時差3時間30分なので日本は8:00。
ちょうど実花(娘)が学校にいくのに慌てている頃だろう。
こちらでは少し前から一羽目のニワトリが鳴き始めている。
とにかく歌が下手なニワトリで。方言なのか?音痴なのか?
いいや、のんびりとしたこの場所の空気を表しているのだろう。
6:00頃から朝食の為の火が付けられ。その近くで絵日記を描いていると。
ある瞬間から周りにある大木で寝ていた鳥達が一斉に鳴き始める。
何があって何が無いのか分からないが、全てがあって全てが無い、心地良さ。
毎日の食事が大切で美味しく力に。
今日は昼から描き始める。
20日朝。
7:00から村を周り牛糞集めへ。
牛糞を使って家の壁にしたり、乾燥した物は燃料として使う。
糞をしたばかりのアツアツホカホカを手で触る。
だんだんと愛おしく、美しく見えてくるのも不思議だ。すぐに手を洗い朝食。w。
インドに来る前に気にしていたトイレに紙がなく水と手で洗う事も。毎日美味しい食事のお陰で快便。
そして水と手で洗う。日本でなぜ紙を使っているのか不思議なくらい快適清潔。
身体のバランスが取れてきた。今日も大切に遊ぶ。
20日昼。
2日目の描き。ゆっくりと描いている。
わかっているだろうが、いつもの様に変わらずゆっくりと描いている。
もう1ヶ月ぐらい滞在している様な豊かな時間。
学校の子供達との顔合わせもあり、描いている途中ふっと気がつくと後ろで子供達が見ている。
素直な眼差しと溢れる笑顔と、少し緊張して見てはいけないものを見ている様なドキドキしている表情。
日本にいる素直な子供達と何も変わらない。可愛らしい美しさ。
夜はwall art festivalのインド運営チームの方のお家に招待していただき、7歳の息子さんの誕生日会にみんなで参加。
真ん中に座った主役の子供の口にみんながケーキを少しづつ入れていく、そして何故か顔にクリームを塗るという不思議なお祝い。w。
お酒と料理に大人達も話や笑いや涙が溢れる。
親が子供達を愛している。子供達が兄弟を愛している。仲間が仲間を愛している。
日本にいる素直な大人達と何も変わらない。繋がっている。
21日朝昼。
7:00からジャングルハイキング。
3時間の道程の中でおかず君が丁寧にその場所の生活についてや樹木・植物・生物の話を聞かせてくれる。
とてもいい時間。実花(娘)がここにいてほしい。(会いたい)。
ハイキングの後はnoco project が建てたnoco houseで昼食。
本当にこの食事のお陰で描けていると言えるほどの美味しさと大切さ。いただきます。
午後は小学校に移動し壁画を描く。もう描く事に関しては何も言う事がなくなってきた。
ただただ描いているだけなのだ。心の底から力一杯ゆっくりと楽しんでいる。
描いている。何が欲しい?何もいらない。描き出す。
22日朝。
毎日のビールが旨い。
宗教や習慣の違いからお酒が飲めない場所もあるが、この村は大丈夫!
大瓶で260円とこの地域にとっては高級過ぎるのだが。インドではインドのビールが身体に染みる。
そして毎日毎食作ってくれる食事の美味しさと満足感。
痩せて帰るんじゃないかと思っていたが、健康に太って帰るだろう。
肉を食べたのも1食だけ。東京では毎日でもお肉を食べたいのに。全然満足な毎日。
不思議だ。今日も健康に描いてこよう。身体のバランスが良すぎて頭が空っぽだ。
真ん中には描く事だけ。サンテ!乾杯は変わらず。
22日昼。
朝から描き。昼食で戻り。昼からも描く。
4時間の描きが15分ぐらいにしか感じない遊び。
子供達が裸足で走る。牛が歩く。犬がシッポを振る。
何かが生まれている。あの線がここからあそこまで繋がる。
この色があそこからここに現れる。
でも誰も知らない。私も知らない。
それを絵だと言うが。私はそうは思わない。
行き先が分かっていたら、面白くないだろう。
23日。朝昼晩。
ここでの生活のリズムのお陰で身体のバランスがいい。
とても元気だ。描く事に真っ直ぐになれる。
描く前に絵がどうなるのかいつも説明が出来ない事を、描きだし描きながらゆっくりと体験している。
そうゆう事なのかなと、そうゆう事なんだなと、1色ずつ1線ずつが重なっていく。
ここで私が終わりを決めてしまったらなんて安っぽい遊びなのか。
私は誠実に向き合う。絵が終わるまで。絵が終わりを決めるまでは。
いつでも動き出せるように。いつでも止まれるように。見つめ合う。
どうなるのか私には分からない。どうなるのか絵も分かってないはずだ。
逃げない。逃げるなよ。
24日。朝。
子供達14人と描くワークショップ。始めに伝える言葉を大切にしながら。
11:00開始。大人が引っ張っているのか。子供が後押ししているのか。
ぐんぐん力強くゆっくりと進む。日本の子供達がどうだとか、インドの子供達がどうだとか。
今は分からない。美しい絵が生まれた。彼らは遊んだ。私も遊んだ。
ワークショップか終わってアッコさんが「人生は以外と短いなー」と。
また次の人生で会いましょう。ありがとう。
24日。昼。
描いたり、子供と追いかけごっこしたり。
子供と追いかけごっこしたり、描いたり。
25日。朝。
ボランティアスタッフ3陣が日本から到着し、賑やかな時間が始まる。
描き。描き終わる。突然終わる。終わる予感と。始まる予感と。
終わった、と発した瞬間。目が少しずつ落ち着いていくのが分かる。
身体の力も。身体の力に。描く事は楽しい。
25日。昼。
teachers tourで話す。学校の先生達に絵について話したり質問に答える。
固い先生達は素直に話す。立ち飲み屋のサラリーマンのおじさんとの会話に似ている。
面白い。素直さ。立ち飲み屋で鍛えられている絵描き。絵とは別の話だ。乾杯したくなる。w。
説明出来る絵もあるだろうけど。説明出来る人生があるか?生きている。生きる。一生懸命に美しく。
絵を見に来たお客さんにどう説明して良いのか分からない、と先生達は頭を悩ます。
安心してくれ、説明しなくて大丈夫!絵の前で立ち話をしてほしい。絵の話ではなく。
お客さんに、調子はどうだい?最近は元気かい?と。ただそれだけでいい。
絵はしっかりとその言葉を聞いている。絵はしっかりとあなた達を見ている。
26日。朝。準備最終日。
前夜祭に向けて。ワークショップと片付け。目印の絵もインドの大地に立つ。
始めの頃にワルリ画はインドスタイル、私の絵は東京スタイルと言っていた人がいたが。
全て一緒だ。全て大地に。全て空に。全て生活に。全て人に。全て美しさに。難しい事は考えるな。
あなたは研究者や学生じゃないだろう?生きろ。私は描く
26日。昼。踊って、歌う。歌って、踊る。。
27日。朝。
今日から3日間のエキシビションが始まる。ゆっくり過ごそう。
そこには絵がある。乾杯も。子供達も。道路交通法違反。
27日。昼。
オープニングセレモニー・VIPツアー・ワークショップと怒涛の時間が過ぎ、午後はゆっくりとタープの下で1人過ごす。
インドにいる事を頭が理解し始めた。33度。天才的泥除け。
28日。朝。
昨日の夜のワルリパーティーで食べたチキンカレーが美味しくて肉肉しくて元気。
インドに来る飛行機の食事の時にチキン?orフィッシュ?ではなく、ベジ?orナットベジ?と聞かれる。
お願いします、お肉をください。お願いします、お肉をください。お願いします、お肉をください。
日本に帰ったら、お肉をご馳走してください。w。目の前を牛が通る。
28日。昼。ゆっくりと音を聞いている。実花に会いたい。トモに会いたい。
29日。朝昼夜。
エキシビション最終日。片付けを終え。
夕方はアラビア海に沈む夕日を見て、お疲れさまディナーへ。
2週間ぶりのワインで乾杯。何ヶ月も過ごした様なこの旅は明日日本に向けて発つ。
まだ何が起こったのか整理は出来ないが。
身体と感覚はしっかりと記憶しているのだろう。
描き。
1日。帰る朝。
魘されて起きる。どんな夢だったのか、しっかりとは憶えていないが。以前に見た夢の続きの様にも思う。
開いた扉の向こう側に’‘あるのかいるのか’'の何かを見るためにそっとゆっくりと怯えながら勇気を振り絞ってそろりそろりと一歩一歩進んでいる。
何かが’'見えそうな見えたような’'その瞬間に腹の底から唸り声・言葉を発し、その声に驚き目が覚めた。
同室の2人も驚くほどの声で。日本語ではなかったその言葉の様な唸り声を、朝食の時間におかずくんに聞くと。
それはマラティ語で「良いです」という意味ではないかと。
何が良かったのか?扉の向こう側には何があったのか?思い出せない。
1日。昼。
ワルリの村を発つ。別れはいつも辛い。
出来るだけみんながいる場所を避け、出来るだけみんなと目を合わさない。
早く車が出発してほしい。泣き虫は辛い。ここから車で3時間ムンバイへ。
国内線でデリーへ。そして日本へ。朝に着くので。
朝食、昼食、夕食、お風呂、お布団、ゆっくり、乾杯、実花と。
道路交通法違反。w。
2日。朝。
一緒に行ってても、一緒に行かなくても、家族の大切さを感じる旅。
描きへ。ありがとう。インド。ただいま。東京。これ、パパが1番食べたかったやつ!いただきます。
インドでの時間。日本を発つ前にずっと「なぜ私がインドに呼ばれたのだろう?」と口にしていた。
それは初めており立つインドの地に何があるのか?想像もつかなかったからだ。そして私は何を描き出すのだろうと。
描きだしたらすぐに見えてきた。目ではなく耳ではなく心でもなく。存在し始めた。
「なぜ私は絵を描き始めるのだろう?」と同意だという事も。描きだしてみなければ分からない、想像もつかないのだ。
そんな壮大でいい加減な遊び。0から0へ。インドは何も教えてくれない。インドは全てを知っているから。私は描く。
そこに意味が必要か?そこに哲学は必要か?そこに理由が必要か?
入り込む。全身を使って入り込む。自分が包み込み。それ自体から包み込まれたときに。聞こえてくる。
0が。音もなく。色もない。知っているはずだ。繋がりや思いや愛情の先に。描き。遊び。描く。
帰りぎわにインドはそっと、私にだけ教えてくれた。あなた自身を。私自身を。ありがとう。また来るよ。